両親とサヨナラした日〜迷いと決断

8年前、両親へサヨナラ、を告げた。

傷つき悩みを繰り返し、迷って迷って、決断した。

今思い返しても、この決断は良かった、心から思う。

 

 

 

小学生の頃、父は、よそのお父さんと何となく違う、と思ってた。

なんか怖い、のだ。

父は銀行員で毎晩帰りが遅く、日曜日はゴルフであまり接触したことがない。

 

 

 

たしか、中学1年か、2年の頃のある日曜日の朝。

2階の自分の部屋から、居間に降りていつものようにペットのウサギのケージを覗く。

数日前から餌を食べない、学校から帰って、制服のまま病院に連れていった。

日曜日の朝は、動かない。

生きていれば呼吸で上下するであろうフワフワしたお腹をじっと見つめる。

やっぱりお腹はピクリともしない。

死んでる。

ポトンポトン。体育座りをした私の膝の部分に涙が落ちた。

その後シクシクから始まって、ヒックヒックと声を出して泣いた。

すると、父が起きてきて、こういった。

うるさい!辛気臭いから泣くな!汚ねえし臭せえウサギがいなくなってせいせいした!

父は、他人に対しては、綺麗な言葉を使ったが、家の中では違った。

 

 

 

私は、体育座りの腕をよりいっそう体に巻きつけ、体をギュッと縮こませた。

自分の体から音という音が出ないように細心の注意を払いながら、泣き続けた。

どうしてお父さんは酷いことを平気で言えるのか、と不思議だった。

 

 

 

父に対して、中学までは恐怖で固まり泣くだけしかできなかった。

高校、大学と歳を重ねるに連れ、私は、父に言い返すようになった。

母は、父の機嫌を損なうようなことをするな、あなたが言い返すから悪い、と言い続けた。

居心地の悪い家。

父が大嫌いだ。

父の顔色を伺うことしかできない、弱い母はもっと嫌いだ。

父の顔色を伺う、母のような生き方はしたくないと心から思った。

やりたいことはないけれど、とりあえず大学は卒業して、ちゃんとした会社に就職しようと思った。

それだけしか、自分にできることはないと思った。

 

 

 

大学卒業後、「ちゃんとした職業」につくことができた。

経済的にも親から独立した。

お盆やお正月は、世間の常識、に合わせて帰省をした。

親子で穏やかに過ごす英気を養える休暇、は全く期待できない家族であるのは、嫌というほど思い知らされていた。

それなのに、家族との繋がりや温かさを思わせるこの季節、寮に一人で残る孤独に耐えられなかったのだ。

帰省しても居心地は悪く、必ず大げんかになる。

 

 

 

あの時の私は、まだ期待していた。

いつか、私のことをわかってくれる。

いつか、優しい両親に変わってくれる。と。

期待をしてしまう、という意味では、私は両親を愛していたのだ。

 

 

 

地方の帰省は、長い移動時間と決して安くない交通費がかかる。

嫌な思いと、心が疲弊するだけの帰省を続けて10年たったある日、ふと、そしてしっかり考えた。

 

 

 

両親と会うと、私の心は消耗するのに、休暇に帰省するのは、10年以上続けてるんだな。

10年って、すごいよ。

10年変わらない人が、これから変わることがあると思う?

両親が「私の理想の両親」へ変わってくれる、と期待するのは、もうやめよう。

「いいお父さん」「いいお母さん」の幻想、はもう諦めなくちゃ。

 

 

 

そして、両親に対し、1通の手紙を書く。

迷いながら、震える手で、書き始めた。

内容はこうだ。

 

 

 

10年以上、喧嘩を続ける生活に、私はほとほと疲れました。

働き始めて、お金の大切さはわかりましたので、大学卒業までの経済的なことは、本当に感謝しています。

あなた方の行動や暴言が変わってくれることを言い続けて来ましたが、変わらないことは理解しました。

あなた方とは、もう関わりたくありません。

実の両親と縁を切るのは、残念とは思いますが、もう付き合いきれません。

今後は、一切連絡しないでください。

お互い、自分の価値観を大切にして、それぞれの生活を大事にしていきましょう。

私は、私を大切にしてくれる人たちを大事にします。

 

 

 

両親へ「サヨナラ」を告げることに、迷いはなかった。

これまで長年、両親のことを考えると、胸に漬物石を乗せられるているような息苦しさが、スーッと消えた。

原因不明の微熱が続き、モヤがかかったような重だるい体が、ある日平熱に下がってスッキリする、ってこんな感じじゃないかと想像する。

長年の心の重荷を降ろす時がきたのだ。

 

 

 

迷ったのは、「文章の内容」だ。

感情的にならず、論理的に、冷静に、「サヨナラ」を伝える文章にしよう、と文章の構成を考えた。

3行くらいボールペンで書いたが、腕が疲れて、パソコンで打つことにした。

A4コピー用紙5枚分ぐらいの、まぁまぁ大作。

そして、そろそろ老眼が来ているだろう両親が、大きめの文字で、読みやすく、と配慮しフォント調整する。

そこには、親への愛憎でドロドロしたかつての私は、もうない。

両親とサヨナラする、さえ伝わればいい、淡々とそれだけだ。

 

 

 

両親とサヨナラをする決断をした。

決断は「やりきった」という感じが近い。

もう十分迷って、「両親への愛情と期待」を燃料にバトルを続けてきて、燃料はすっからかん、燃え尽きたのだ。

 

 

 

両親とサヨナラしてから、心と頭の中に、心地よいそよ風が吹きぬける場所ができたような感じ。

これまでの私がやらないような、新しいことに挑戦したくなった。

いろんな縁が重なり「四柱推命」という東洋の占いを学ぶ機会に出会う。

過去から伝えられてきた四柱推命のルールを、解釈と自分の言葉で人に伝える。

言葉の重み、が愉しくもあり、ピリリと引き締まるものである。

心理学の本か何かで読んだのだが、自分に集中できないと、読書は続かないらしい。

四柱推命を学ぶには、読書は必須だ。

長年のモヤモヤが消えて、新しい事を学び、迷う余裕ができたから、続けられる。

 

 

 

占いをしていると、迷っている人、に出会う。

真っ暗な道を迷っていて、どちらに向かえばいいのか、さえわからない人。

自分の中で答えは出ていて、誰かに背中をポーン、と決断のあと一押し、が欲しい人。

 

 

 

四柱推命には四柱推命の、星占いなら星占いのルールがある。

占いとは、受ける立場で言うと、占いのルールと、占い師の個性によって表現される「あなたの物語」を読み聞かせしてもらうこと、だと私は思う。

占いを受ける人が主人公の小説、みたいなもの。

占い師=作家だ。

その作家やその物語を聞いて、好きか?楽しいか?信じるのか?

どんなに著名な占い師に占ってもらったとしても、信じるかどうかは、自分で決断するのだ。

 

 

 

両親と迷いながら格闘を続け、サヨナラを決断した私は今、迷う人の決断を手伝っている。